参加者の声【Creative Drawing 2018 in 北軽井沢 vol.1|絵が描ける脳をつくる 3日間集中講座】テマに教えてもらったこと

北軽井沢から帰ってきて以来、目をつむり深呼吸をすると、心にテマが現れます。

テマはアトリエの2軒となりで飼われている雑種の老犬で、世話に手間がかかることから「テマ」と名付けられたそうです。
長い顔にたれた三角の厚い耳、木の葉や枝のからまりついた、もこもこの毛なみ。アトリエに来てすぐ、あけびの木の下ではじめての挨拶を交わしました。
声をかけても首元を撫でても反応はありませんでしたが、なぜでしょう、私はこの犬をすっかり好きになってしまいました。

二日目の朝食前の空き時間にふたたびテマに会いにいくと、偶然、飼い主の方が他の犬の散歩から帰ってきたところでした。
三日間の合宿のあいだにどうしてもテマと仲良くなるのだと決心していた私は、自己紹介もままならぬまま、思い切って口にします。

「テマと散歩させていただけませんか」。

不審がられる前にと、慌てて自分の身分を明かそうとしましたが、車の免許証も会社のIDカードもここでは何の意味も持ちません。

「あのアトリエに絵を描きにきた者です」、それが私に唯一言えることでした。それでも飼い主の彼女は驚くことも、いぶかしむこともなく、こころよくテマのリードを渡してくれました。

「ほら行くよ」と声をかけると、テマはあたりまえのように家を出て歩きはじめます。老いた体からは想像のできなかった快活さで、道ばたのあらゆるものの匂いをかぎ、草むらに分け入っては朝露にクリーム色の毛を濡らし、駆けては風に耳をはためかせます。

テマには何もこわくないのだと思いました。ほとんど見知らぬ人間が隣にいることも、風邪をひくかもしれないことも、砂利でけがをするかもしれないことも。

このエピソードが私にとって特別な経験となったのは、それがアトリエでのワークと深く繋がっていたからです。

たとえば、”contour drawing”の練習として、パートナーの顔の輪郭線をゆっくりとなぞったこと。鉛筆を持った手元は見ずに、飛ばすことも戻ることもせず、ただひたすらに線を追っていきます。
エリさんの言葉どおり「蟻が這うように」鉛筆を進めていると、「この先」でも「さっき」でもなく、「いまここ」にいるという実感が湧いてきました。

意識の向け方によって花瓶にも、向き合った二人の横顔にも見える一種の騙し絵がありますが、現実の世界においてあれほど劇的に、見ているものが変わる経験は多くありません。
単純な線の連なりに意味を見出したのは自分自身のはずなのに、気付けばその価値観に囚われ、目の前で起きていることを見逃してしまう。何の意味も持たない線に身を任せることは、いまの私が必要としていることだと感じました。

また、ダブルフォーカスについて学んだこともとても印象的でした。花瓶と横顔を交互に見るような、あるいは細部と全体の両方を同時に見るような目で筆を運ぶということは、私には至難の業でした。

ですが最終日に色鉛筆でりんごを描いた際には、りんごの赤や黄色の縞模様と、球体全体にかかる光や影の存在を同時に感じ取れる瞬間がありました。もっと赤を入れて、速く、どんどん描いて、というエリさんの言葉とキース・ジャレットのピアノに追い立てられながら、とにもかくにも夢中になってりんごを見て手を動かしていると、いつのまにか自分で色を塗っているという感覚が抜け落ちていきます。

自分がどこかに消えてしまったかのようではじめはおそろしく、私はすこし怒ってさえいたのですが、いったん流れに乗ってしまうと、ある時点から気持ちがすぅっと楽になるのを感じました。

そうして生まれた私のりんごは、気が付いたときには現れていたという感覚で、正直あまり自分で描いたような気がしません。ですがたしかにあのとき私の目があって、手があった。しばし遠くへ行った気がしますが、それはまぎれもなく私が描いたりんごなのです。

「ほら行くよ」と私を外へ誘い出そうとするのは、きっともうひとりの自分です。声が聞こえてきたら、自分を信じ流れに身を任せる勇敢さを持って、散歩へでかけたいと思います。

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