参加者の声【Soul Money WS 2017 in 北軽 】愛に満ちた世界を創るために

 子どもの頃、大人になったら、好きなものを好きなだけ買えるんだと思っていました。しかしある時、世の中には社会的な成功者と言われる人がいるけれど、年を重ねても、そういう人になっていない私がいると気づきました。そして、自分はお金を稼げない価値のない人間だったんだと落胆していました。さらに、長い間逃げていたお金のことが、知らず知らずに大きなストレスとして人生にのしかかっていました。
お金の問題は、一番大切にしたい自分の「自由」や「自立」と結びついていました。それから、お金はエネルギーで、エネルギーは魅力ある生き生きしたところに流れるものだから、私は魅力のない価値が低い人間だと自分で自分に安い値段を付けてしまっていました。

山ほどの観念に囚われている

 満足のいくお金を稼ぐことは諦め、まずは自己受容だと、「稼がなくても今の私は豊かだ」などと思い込ませようとしましたが、一方で嘘を言っている自分にも気づいていました。  

 そうやって何年も経ち、まだ癒されていない部分がある限りそれを覆い被してアファメーションしても効果がないと考えていた時、このお金のワークショップがあることを知りました。

 考え抜かれたプログラムが盛り沢山の本当に充実したワークショップでした。印象的だったのは、“観念”について取り組んだことです。私たちは山ほどのネガティブな観念に囚われています。「私にはお金を稼ぐ能力がない」「お金を稼ぐのは大変なことだ」「私には価値がない」などなど挙げればキリがありません。これらは、私が頭の中で呪文の様に長い間唱えてきたことでした。

「私は神だ」カードの購入

 数々出てきたネガティブな観念、ポジティブな観念をカードに書き、それを売買するというユニークなプログラムがありました。私はそこで、高額な「私は神だ」カードを借金して(擬似マネーです)購入しました。借金してまで欲しかったのは、自分が自分の世界を創ると強い意志を持ちたかったから。買うという行為は、「そこに意図を持つ」「自分で選択し決める」ということを意味していました。

 「私は神だ」カードを手に入れた価値は高く、ワークショップが終わった今でも、私は私の世界の創造主であることをすぐに思い出すことができています。そうであるなら、一体誰が望まないことにフォーカスするのでしょうか。創造主は自由に選択できるのです。

 子どもの遊びの様なワークでしたが、私の細胞には創造主としての視点がしっかりと刻み込まれたと感じます。

受講後の気づき

 ワークショップの数日後、お風呂に入っている時にふと、自分のやってみたいことに対するあるアイデアが浮かびました。その時、いつも自分を責めるために使われていた脳の機能が、本来の機能で使われたような気がしました。思考を司る部分が目覚めたように喜んでいるのを感じ、声が聞こえました。「こんな風に私を使って欲しかった!私はあなたの味方よ!」と。
 私は自分の体を、自分を責めるために使うべきではないと気づきました。ネガティブな観念は、私が傷つかないように、何かを守るために必要だったのかもしれません。確かに柵の中で何もしない方が安全という考え方もあります。でもそれでは、まるで生きる屍。自分の体の細胞は喜びを感じたい。ならば、どうあればよいのか。「チャレンジしないことの方が苦しい。苦しいのは自分のエネルギーが循環されていないから。水たまりでは淀んでしまう。私は川のように流れて清々しく生きたい!」全身からの声でした。

 表現することは、自分のエネルギーを循環させ、還元していくこと。そしてまたフレッシュなエネルギーを取り込み、愛をたっぷり含んだエネルギーとしてこの地に還していくために私たちは表現するのではないか。アートの定義など関係なく、表現アートは自分のためにあるのだということ。愛を増幅したエネルギーとして還元するためには、慈愛に満ちた種から生まれたアイデアによって行動し、現実のものにすることではないか。誰のためでもない、自分のため、そしてこの宇宙のために。

 この世に向けて表現することの喜びへの気づきは、もはや「私は価値のない人間だ」という観念と同じステージにはありませんでした。創造主として、愛に満ちた世界を創るために自分の身体を遣う。私にとってこの気づきは、おそらく一生に関わる大切な宝物となるでしょう。

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