2021年の在り方を明確にしたいと思っていた矢先、偶然にもオンラインでのws開催を知りすぐに申し込みました。
作品を制作するプロセスが、パワフルで変容を促す事はわかっていても、納得のいく産みの苦しみやエネルギーを使う事、作品そのものである自分自身を受け止め引き受ける事から随分遠ざかった日々を過ごしていた私。
でも、どっかではずっとその作業をする事を望む自分がいたのだと、参加して改めて感じました。
WSを終え、はっと腹落ちした事は「手放す」とは、「切り離すではなく」むしろ「一つになる」のだという事。
何度も何度も手放したいと握りしめながら、開ききれなかった手。参加者の方も話していたように、どこかでは手放す事を寂しく握りしめる事を選んできた時間。
でも「手放さないと進めない、変わらない、手放さなければ(ねばならない)」と思って葛藤が起こっていたんだ。
握りしめていた手を下腹と胸に当て、体温を感じアトーメントを繰り返す。「一つになる事」は変わらない事ではなく、寧ろ統合した事で解放が起こり、気がつけば安心の中で手放しが始まっていて。
TAOの統合のワークが、本当に深く、re connect、re memberの感覚に触れる事ができました。
闇と光のワークも、私にとって1番認めたくなかった(認めたくないとすら意識にも無いくらい、無意識に否定してきていた)『攻撃性』や『暴力』が、在るのだと静かに受け入れ、統合に向かい始めた事が、1番の大きなギフトかもしれません。
『コントロール』や『力』を無自覚に求める自分。
自分の望む世界を創造するということは、力が働く。パワーかフォースかという言葉を思い出しました。
私が苦手だと感じる人の共通点は、「羊の顔したオオカミ」のような漏れ出る『支配欲』や『自分が正しい(正義)』という強いコントロール。
そこに嫌悪を感じるのは、きっと私にもあるから。
『欲』というエネルギー、生きる為の攻撃性を持つ力。
私の中にある『力』を使うという事に許可を出す事を逃げてきたのは、その力で誰かを傷付けしまうのでは無いかという恐れ。アンコントロールになった時にコントロールの手綱を握れない事の恐れ。
そうなるくらいなら、責任をとれないならやらないと、守る事を選択をしてきました。
でも、今回内なる力を認め、融合・統合した時に、アンコントロールになっても逃げない、投げ出さない、あり続ける先にちゃんと光が有ると決める事ができました。それがコントロールの手綱を握るという事。なのかもしれません。
痛みも引き受ける覚悟の先に、ちゃんと光が有る事を内側は知っていても、観念や記憶に揺れてきた自分を許す。そして、私を生きること・活かす事を許す。力を発揮することを許す。
その一歩を歩み出せたのは、安心して開示できる創作の場があったから。
本当に、オンラインでの開催に感謝しています。