参加者の声【テクニカル集中講座 in 北軽井沢 2021】そのままの自分で

5日間。
時間の感覚がおかしいような、変な感じ。
温かくて、豊かで、すごく大きな5日間だった。

やっぱり向き合うのは、今ここの感覚。
…それをすぐストーリーに結びつけようとする私。

シェアして改めて味わうこと、気付かされることも多かった。
話していると出てくる言葉。
忘れちゃったこともあるけど、その時その時生まれ感じたいろんなこと。

ライティングも音もボディもタオもいろんなこと感じた。

タイムラインも描いた。
描き始める前、なんか重たい感じ。
またきつかったころを見つめるのかぁ…という感じに入っていく感じ。

4日目は、一人ずつみんなの前で、過去に囚われた概念を手放し進みたい未来へ進んでいくためのオリジナルのワークを行った。

私は…。
初めはやりたいことを実現できる私へと進んでいくために、ワークショップのようなものをしようかと考えていた。
みんなにも協力してもらいその方向で準備していたけれど、やっぱり実現する手前、行動するその前にある、自分の不安や抵抗を感じる方が大切な気がしてきた。

自分の発表直前の準備の時間に、そのことをエリさんに話した。

そこから、エリさんは私の深いところを突いてきたくれた。

萎縮して固まっているあなたと思いっきり表現しているあなた。
全然違う。
でもそのどちらのあなたも、私には違和感がある。
本当のあなたはどこにいるの?
あなたの思っていること、ただそのままを話してよ。
どうして黙ってしまうの?
パフォーマンスに逃げないで。
あなたはどうしてI空間にこもっているの?

こう言う時に、私は言葉が出ない。
いっぱい感じていっぱい思っているけど、それらは漠然としたまま喉の手前胸の奥でくすぶっているだけで、私はそれを言葉にして吐き出せない。

エリさんの言葉を聞きながら、私はずっと口から何も出さないまま泣いていた。

でも、一歩進まなければ。
私は一歩進むためにここにいるんだ。

私は、みんなの前で今自分が感じ考えていることを言葉で伝えることにした。

「話します。」

こう言うときに上手く言葉にできないこと。

言おうと思うとその言葉は私の感じていることと違う気がして、違うことは言いたくなくて、言うのをやめること。
合っているのか違っているのかいつも選別していて、選別だけで終わってしまうことがよくあること。

恥ずかしいという気持ちがあって、それを言うことが恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がなくて、言えないこと。
私の中には“居たらいけない自分“がたくさんいて、そんな自分はみんなには絶対見せたくなくて言いたくなくて、隠したいと思っていること。

作品を作っているとき、途中まではただ感覚で描いていても、途中から形にしようとしてしまって、コントロールやカッコつけたい自分が入ってしまって、計算してしまって、いやらしさを感じることが時々あること。

優位に立ちたい自分がいること。
嫉妬の気持ちがあって、人の不幸を喜ぶ自分がいること。

かと思えば一方ですごく人に気を使い人に合わせる自分がいて、自分がバラバラなこと。

それでも、今こうしてみんなにそのままの自分を伝えようと言葉にしているとき、私は自分の足で、そのままの自分でここに立っている感じがすること。

みんなは私の前に囲むように座り、ずっと聞いて見守ってくれていた。
一つ一つのスピリットのように。

これでよかったのか考えるとよくわからない。
でもこれがベストだった。
私がその時越えるべきものと向き合ったと思う。

そのあと、絵を描いた。
でも、嘘の絵は描きたくなくて、正直で在りたくて、大きな紙の前でたくさんは描けなかった。
でも、正直に描いた。
その時描けるものを、その時描ける分を。

その時も、みんなが本当に温かく私を囲み見守ってくれていた。
そのこと、すごく感じていた。

そのあとみんなが一緒に踊ってくれた。
私は、そのままの自分でこころ振わせながら思っていること伝え、そしてそんな私をそのまま迎え入れてくれるみんなの温かさに胸を打たれ、喜びとも達成感とも恐れとも安心感とも違う、またはさまざまなものを含んでいる、むき出しような、ちっぽけな、たったひとつの自分のこころで叫ぶように泣いた。

…あれから数日。

私は今、この場所にいる。
囚われないで、今を表現していきたい。
やっぱりいろんなこと、言葉にして話したい。
そしてそれを誰かに聞いていてほしい。
前に進んでいきたい。
そのままの自分で。
そして、そのままのみんなと一緒に。

(30代女性)

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