参加者の声【表現アートセラピー テクニカル集中講座 in 北軽井沢 2024】私は私を愛する

いつ頃からそう感じるようになったのだろうか。小さい頃から、学校の先生の話を聞いても、言葉が私の頭の中に入ってこなかった。
大人になると、相手が話している言葉にモヤがかかり言葉が見えなくなるというか、消えてしまうように感じ始めた。

その感覚は今もずっと続いている。
だから私は、人の話を聞いたり、人と交わるのが苦手だったりする。
それでも私が、感覚をシェアする事が多いワイエスのワークショップに参加するのは、自分自身をもっと知りたいからだ。

「私ってこういう人間なんだよなぁ」
「私ってそうなんだ…」

ワイエスのワークショップに参加して、皆んなと交わると、自分のことについて気が付くことが沢山あったりする。大抵、その気が付くことは自分自身に関するネガティブなことだから、私は自分に自信が無かったりする。

昔の自分と比べると、出来るようになった事が沢山あるし、良い方に向かっている感じはしている。
それなのに私は自分に自信が持てない。

私はこの感想を書いている時に気が付いたことがある。
最初は、父が私と姉を比較して優劣を付けているんだと思っていた。ドラマワークでもそう言葉にしたと思う。でもそうじゃなかった。優劣を付けているのは私自身だった。
それに気がついた時、私は私自身を認めていないんだと感じた。

なぜそんな風に感じるのかを考えてみる。なぜだろう…

こんな言葉を思い出した。それは私がずっと口にしている言葉。
「人並みになりたい」
だけど、本当は
「人並み以上になりたい」
が本音だろうと思う。

私はずっと劣等感を抱えて生きてきた。出来ない自分に落ち込んで、惨めな自分に恥ずかしさを感じてずっと生きてきた。
「なりたい自分」と「今の自分」があまりにも違いすぎるからだ。だから、私は私自身を認められない。なりたかった自分になれなかったから。
だから辛く苦しくなるし、人生を諦めたくなる。もう、どうでもいいや…と。

それでも、5日目のワークショップで、私は確かこう宣言した。
「私は私自身を解き放ち、私を愛します」と。
私はどうやらそう望んでいるらしい。私は私の内側にいる私自身の願いを一緒に叶えたい。願いを叶えた時、私の内側にいるその私はきっといなくなり、そしてまた新しい願いを持った私が内側に現れるんだろうと思う。

今回のワークショップが終わった後、ワークショップ中に感じた熱さは暫く続き、こんな言葉が浮かび上がってきた。

私が私自身を大切にする
私が私自身の願いを叶えてあげる
私が私自身に許可を出す

何の許可かというと、それは私が私らしく自由に生きることだ。

そして、1番最後は

私が私自身を愛する

今まで「愛する」という言葉を使ったことがない私は、ワイエスでこの言葉を聞いた時、抵抗を感じていた。だけど、ワークショップを受ける毎に少しづつ「裸の私の輪郭」が見え始めた今だったら受け入れられる。「愛する」ということ。

まずは最初に自分自身を愛そうと思う。

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