参加者の声【ワンダーチャイルド・ワークショップ 2024 in 北軽井沢-不思議な国のアリス】手をつないでほしい

「消えたい」というおもいが
こどもの頃からありました。

「この世界から、消えてなくなりたい」

この言葉を誰かの前で言ったことはありません。
その言葉を発したら最後、そのとき目の前にいる心やさしい人はきっと、慰めてくれるでしょうから。あるいは、侮蔑の目で見るか。

そんなこと言ってこの人、甘えたいのかな?

は歴然ですしね。

それに「消えたい」なんて言うのは、まわりの人たちに対して失礼です。
少なくとも今目の前にいてくれている人たちは、わたしへ何某かの好意をもって、そばにいてくれているわけです。
そのような人たちを前にして「消えたい」と言うことは「わたしはわたしのことだけが大事で、あとの人たちのことはどうでもいいと思っています」と宣言しているようなものですから。

そういう視野が狭い自分をさらすのって、超絶かっこわるい。

よって、人に甘えたおしたいくせいに、ええかっこしいのわたしは「消えたい」を誰かに言ったことはありませんでした。賢明だとは思います。
でも賢明だからって、それによって「消えたい」が消えるわけではありませんでした。

それが、このたびのワークショップでは人生で初めて言うことができました。

「死にたい」と。

きっとここにいる仲間なら、長年抱えこんできたせいで重くなってしまった、人に甘えたくてしょうがない私のきもちを、笑わず流さずに、受け止めてくれる。そう見越してのことでした。わたしは安心して、内なる子どもの愚痴を表に出すことができたのです。

ここでなら、言ってもいいぞわたし。
やった!言ってやった!

すると、間もなくのことです。暗い興奮を味わいながらうっとりとクッションを抱えていたわたしの胸に、ズシリと重いものがのしかかってくるのがわかりました。人の足でした。

「じゃあ、死ね」

想定を軽く超えてきた展開に驚きました。

「死にたいんだろ。だったら今すぐ死ねよ。死ーね!死ーね!」

心臓が、屈辱感と怒りでいっぱいになり、ナイフで刺されるようでした。
でもそのとおりだと、おもいました。
わたしが「死にたい」と言ったのは、本当は「生きたい」からです。

「生きたいんじゃないの?本当は生きたいんでしょ?生きたいって言ってよ!」

言いたい。わかってる。でも、のどがしめつけられるようで、言えませんでした。
体からどんどん力が抜けていくのがわかります。
このごにおよんで、わたしは「生きたい」とは言えない。
なぜなら生きていても、なんの望みもないように錯覚しているから。
それが錯覚だとは、知っているんです。でも、だとしても自分に嘘はつけない。
だったらせめて、今口に出せる、今思いつける望みをなにか、口に出そう。
そう思いました。

「手をつないでほしい」

そばにいてくれた仲間たちが、すかさず手をつないでくれました。
今わたしが感じているこの場にある愛が、ただの演劇でひとときの錯覚だとしても、あたたかい。人の手は、心は、今そばにいるということは、なんて、やさしくて、あたたかい。

涙がたくさんでました。わたしはめったに泣かないのですが。
気がつくと、キツい愛の文言を投げつけてくれた、白の女王は去っていました。

…命かげのワークだったな。と、思います。

赤の女王はもちろん、そりゃあ閻魔大王ばりの巨大な愛で、常に参加者たちを真実によって射抜きまくっててすごかったけど、白の女王の天と直結した直感による愛も、とんでもなかったです。でも根底にあるのがとにかく大きな愛で、愛のなかの仮の世界で遊んでいることがわかっているからこそ、わたしのなかの巨大な甘えん坊の子どもを、安心して初めてさらし、認めることができました。

やさしいということは、甘いだけではないのです。本当に。

あの場を支えてくれたマイキーさんの美しいごはん、美しいおうち、すばらしい環境。すべてが愛ゆえに必然的にくっつきあったあのスペースでワークできたことは、わたしの人生の宝物です。いっしょに内なる子どもたち、大人たち、をさらしあった仲間のみんなにも大きなハグを!

最後に。エリさんがこつこつ丁寧にサンドイッチに具を挟みこむ姿が、なぜだか不思議に一番印象にのこっています。

このたびもまた、ありがとうございました。

image_print