わたしは女性性の数字すべてを持っていた。
そして男性性の「北」がない。
自分をすり減らして、ブレーキがかかって、今の環境にいる。
動機を考えると「大丈夫か?わたし」と焦るけれど、考えようによっては、最高の状況に放り込まれた。
わたしは、時間、お金、環境を手にした。
見えない力なのか何なのかはわからないけれど。
女性性、受け取ること。
この状況への罪悪感がずっと続いていた。
ずっと受け取れずにいた。
外から見れば同じことなのだけれど。
誰にも「駄目!」なんて言われていないのに。
ひとつの欠落したステーション。
その課題は際立ち、ネガティビティに傾きやすいという。
わたしは、「北」を目指してきた。
外へ外へと向かう、男性性のエネルギー。
それが「表現アート」だと思っていた。
わたしは「表現アート」に憧れた。
これで社会と繋がれる、
自分を表現できる、
自立できる、
人生を切り拓ける、
与えられる人になれる、
でも、そんな質はわたしにはなかった。
わたしは「ない」を、「ある」にしようとしていた。
ない「不安」からの行動は、底なしの「ない、ない、ない・・・」
「南」の情熱も行動も、空回りしていた。
「不安」は、「中央」の受容の質を「甘え」に変えた。
「不安」は、他人の目を気にするよう「東」の共感能力を利用する。
「不安」は、存在が消えないよう「西」に訴えさせる。
「見て、見て、見て!」
わたしはここにいるの?いないの?
わたしにあるのは「受け取る」質だった。
それが今回はっきりわかった。
「そんなの才能って言えるの?」
受け取れないわたし!
「中央」はわたしの最重要点。
「受け取る」ことは、わたしに「ある」女性性の鍵。
内に探求する「7」の運命数に似ている気もする。
「中央」が稼働すれば、
「東」の共感能力で、人と繋がれる。
「南」の表現能力で、人と分かち合える。情熱の赴くままに歩いて行ける。
「西」の自己実現能力で、人と豊かさを循環できる。
それを持っていたことを「表現アート」で思い出していこうと思う。
闇もまた光の別な表れ。
そう思ったら、「ない」が「ある」にパタパタひっくり返った。