アヤワスカの旅から戻って、しばらくの間、私は本当に空っぽの状態になっていました。理解を超えた体験は、まるで白日夢を見ていたような感覚で、夢とも現実ともつかない記憶として心の中でモヤモヤと燻ってました。それでも、日々は過ぎて行きます。私はまるで夢遊病者のようで、雲のように現れては消えて行くとりとめのない感覚に戸惑っていました。
そんな時、読み残していた本が気になり再び読み始めることにしたのです。
それは、ノンデュアリティ/非二元(※) について書かれた本でした。
(※)「非二元」は、「二つではない」という意味のサンスクリット語「アドバイタ」を翻訳した意。自我意識が滅却した悟りの境地を示す概念。
その本を読み進めるうちに、以前は頭で理解していた内容が、不思議と腑に落ちてきたことに気づいたのです。これまで自分が体験したことや、ペルーでの出来事や今の意識の状態のことが言葉になって説明されているようでした。それは、まるでばらばらになったパズルのピースの一つ一つが、戻ってくるような感覚でした。
タオや禅も、元を辿れば非二元を表したものです。言葉や表現は異なりますが、皆一つに繋がっていることをあらためて納得させられたのです。
悟りの境地である非二元を、言葉で説明することは難しいと言われています。私が理解をしている範疇で表すとしたら、 「在るがままのすべて」「体験の主体と客体との境を取り去ること(悟り=差をとる)」という表現が近いでしょう。それは、あたかも「自己」という存在が消滅する瞬間です。自分が存在しないとしたら、自動的に体験そのものも消えてしまうことになります。出来事は、現れては消えていく現象でしかありません。その出来事に対して、あらゆる「意味=ラベル付け」をするのが、自我(エゴ)ですが、エゴは、自分の生き残りのために、様々なプロット(物語)を組み立て、感情を揺さぶります。