わたしは、幼いときから、どこかで、自分自身と感情とが切り離されている感覚がありました。自分が悲しいのか、怒っているのか、うれしいのか、よく解らず、とにかく、その場(相手)に適した感情を選び、演技をしているような感覚です。
かと思えば、強い感情におそわれ、コントロールがきかなくなることがあり、感情に支配されているような感覚になることもありました。
年を重ねるにつれてその感覚はさらにひどくなり、「感情」が、自分にはわけのわからない、とてもやっかいなものと感じるようになっていきました。
「それでも、やっぱり、”感情”と和解したい。」
そのような祈るような思いで、今回の「Pain Body WS 2011」に参加しました。
二日間に渡って、「”感情”とは、なにか?」について、一つ一つ丁寧に教わることができました。
自分自身がどれだけ、”感情”について誤解をしてきたか、また、その誤解(無知)によって、たくさんの問題を生み出してきたのかを、講義やアートワークを通して気づかされ、最後には、”感情”がいかに自分自身にとって、大切な存在だったのかを心から感じられる貴重な体験となりました。
私は、このワークショップに出る前から、「感情に良いも、悪いもない」と幾度となく聞いていました。そのように思おうと努力をしてきましたが、私には、どんな感情であれ、私を混乱させる感情を、どうしても、そのように捉えることができませんでした。
そのような私に変化を与えてくれたのは、私の中の「無気力」という感情との出会いでした。
感情には「9つの感情」があり、その9つの感情の中で、もっとも低い波動の感情が「無気力」という感情なのだそうです。
私は、それをきいて、「無気力」というのが、「感情」の1つであることに驚きました。そして、その「無気力」という感情が気になりはじめました。
私は、最初、自分がマネージメントできていない感情は、「怒り」と「悲しみ」だと思っていました。しかし、2日目の「ペインボディマップを作成する」というワークで、自分の感情の地図を表現していくうちに、自分が、「無気力」という感情をごまかすために、偽りの「怒り」や「悲しみ」そして「喜び」という激しい感情を上塗りし、いつの間にか、それを本物の感情だと信じこんでいたのだということに気がつきました。
さらに、自分の中に「無気力」という感情があることを認めることが恐かったのは、自分がそれを感じることで、動けなくなってしまうことへの恐れから来るもので、そして、その奥には、「自分は人の役に立たなければ生きていてはいけない」「動けない自分は生きている資格はない」という強い観念があることにも気がつきました。
私は、こんなことを信じていたのか・・と愕然としました。
その後、自分に、「どんな自分でも生きていていいんだ」ということを、自分に教えてあげるつもりで、ワークに取り組みました。
それは「血がかよった瞬間」でした。
「忘れていた感覚を思い出す瞬間」でした。
今まで、感情を抑えるためにあった身体が、初めて、感情と和解し、その感情に突き動かされるように、動き始めました。無気力を感じ終えると、次は、悲しみを覚え、そして、激しい怒りに変化しました。なにも考えずに、そのまま、身体に任せて表現していると、そのうちに感情は、静かに収束していきました。
ふと、視線を降ろすと、プロセスを優しく見守ってくれていたワークのパートナーが目に入りました。すると、押さえきれない涙が、どんどん、どんどん溢れて、とまりませんでした。
「私は生きていてもいいのだ」感情はそれを伝えたくて、存在し、そして、そのメッセージを受け取ることができて、ただただ、うれしくて涙が止まりませんでした。
私にとって、「感情はやっかいなもの」でした。
それが、このワークショップを終えたときには、大切なことを教えてくれる魂のメッセンジャーであることを確信しました。「感情」という同じ存在なのに、今はまったく別のものとして捉えている自分がいることに、自分で驚いています。
これからも、本当の「自分」を思い出すために、みんなとワークができることを心から楽しみにしています。
(30代 女性 アトリエワイエスWS 参加歴:6年)
ワークショップデータ
【講座】Pain Body WS 2011
【日程】2011年6月25日(土)〜27日(日)2日間
【場所】代々木