不運な出来事が起こった時、気持ちは後ろ向きになってしまいます。つまり、状況を正面から見ることができないでいるのです。それでは、適切な判断さえ下せませんし、前向きになることなどなれません。
まずは、「今、ここ」(目の前の出来事)を悲観するのを止めて、観察することから初めてください。
不運な出来事が起こった時、気持ちは後ろ向きになってしまいます。つまり、状況を正面から見ることができないでいるのです。それでは、適切な判断さえ下せませんし、前向きになることなどなれません。
まずは、「今、ここ」(目の前の出来事)を悲観するのを止めて、観察することから初めてください。
子供の頃のことを思い出してください。活き活きと無邪気だった頃。大人よりも腕力が無くても、夢を描く力は勝っていたはずです。
子供の頃は内なるパワーを信じることが出来ていても、成長するにつれて、大人の信じる限界や観念を信じるようになってしまいます。
もしも、パワーを取り戻したいなら、子供の無邪気さを思い出すことが役立ちます。しかし、それは子供のように振る舞えというのではありません。(あなたが大人だったら、迷惑がれてしまうかもしれません…)社会の通念や制限を手放し、既成の知識を捨てて行くことです。そこに発見の種や創造性のソースが見つかるでしょう。
「怖れ」は心配を創り出します。「怖れ」は焦りを創り出します。「怖れ」は不信を創り出します。「怖れ」は苛立ちを創り出します。「怖れ」は混乱を創り出します。「怖れ」は思い込みを創り出します。
さて、怖れることは何も役立つことを生み出しません。
それなのに、怖れることを止めないのはどうしてでしょう?
人の怖れを傍から見ると、怖れるに足るものではないことがほとんどです。
でも、気づくと怖れることに夢中になって人生を費やしてしまうのは、もったいないと思うのです。
パワーを感じるためには、リラックスして内なるソースと繋がり、そこに集中することが大切です。
焦ったり、混乱しているときは、意識が散漫になるので、集中することができません。
そんなときに何をしてもうまく行かないのは、パワーがダダ漏れになってしまっているからなのです。そんな時は、5分間だけでもいいので、ゆっくりと呼吸してみましょう。
日が暮れると、マロカ(メインホール)に、人々が集まってきます。ブランケットや枕、寒くなった時のための服など、準備万端に整えた私は、緊張を和らげるために早めに席に着き瞑想を始めました。夜になると、アマゾンの森は湿り気のある…
自分を愛することが出来る人はパワーを自由に使っています。
自分を信頼することが出来る人にはエネルギーを循環させることを知っています。
パワーがみなぎり愛に満たされている人は、人を批判しないし、疑いを持たず、自分の信じたいものを信じています。
しかし、多くの人が、パワーを見失っているのは何故でしょう?
それは、ある時、人から否定されたり、拒絶された経験によって、刷り込まれた幻想を信じてしまったからかもしれません。
パワーとは、人から査定されるものだと思い込んでいるのです。
しかし、それは真実ではありません。
どうか、信じたくないことを信頼しないでください。