人間は皆、フリードリンク・フリーフードのビュッフェレストランの中で、食べ物を奪い合うような愚かな競争をしていることに気づかないのです。
なぜなら、そのレストランは真っ暗で、誰もが本気で目の前の食べ物しか食べられないと思い込んでいるのですから。
人間は皆、フリードリンク・フリーフードのビュッフェレストランの中で、食べ物を奪い合うような愚かな競争をしていることに気づかないのです。
なぜなら、そのレストランは真っ暗で、誰もが本気で目の前の食べ物しか食べられないと思い込んでいるのですから。
「豊かさ」って何でしょうね?
「お金」と答える人は案外少ないかもしれません。
物質的な豊かさを追い求めると、いつになっても満足することは無いでしょう。
心の豊かさが、真の富を産み出すとしたら、人間はもともと無限の豊かさをもって生まれてきた存在なのです。
私達は、ちっぽけな杯のような存在ではなく、無限の豊かさを受け取り、解放しつづけるパイプのようなものなのです。
自分が自分に価値を与え、そしてそれを自分が受け取ったとき、価値ある人間である自分は、自分が求めた分だけ、豊かさを受け取ることができるのです。
ようするに、人間は自分が何か(たとえそれが自分の求めたものであっても)を受け取る資格があるか?を常に潜在的に考えて生きているのです。
しかし、元々から備わっている資格や価値があるわけではないということをあらためて思い出してください。(生まれた赤ちゃんは何の経験も資格もありませんが、価値がないでしょうか?)
一体、自分はどんな資格や能力があれば、価値があると思っているのでしょう?
そしてそれはどこで取得できるのでしょう?
自分に価値や資格を与えられるのは、唯一自分自身だけなのに…。
自分を無力な存在だと認識している限り、豊かさとは無縁の存在となってしまいます。
価値を認めるのは、過去や今までの経験を探ることが大切だと多くの人は思うかもしれませんが、違います。たった今、何も理由もなく認めていいのです。
何に価値を見いだすか、解らなくてもいいです。ただ、在るがままの自分の存在を大切だと思えることが価値ある状態なのですから。
自分に価値を与えることが難しいのは、理由があります。
自分に価値を与えてしまうと、やがて自分は恐れに立ち向かうかもしれないし、さらにエゴを手放すかもしれません。
「迷いから解放されるかもしれない…。」
良いことづくめですが、これはエゴにとって、ちょっと都合が悪いのです。エゴは常に複雑に解けない問題が好きだから…。
エゴはそろばん勘定が得意で、常に何かと比較したり、善し悪しで判断することが唯一の能力です。
エゴを悪者にはしたくはありませんが、(自分が創り出したので)エゴにコントロールされるのはいかがなものでしょう?
あなたは、それを望みますか?
それともノーサンキューですか?
誤解したまま、私達はあらゆる判断を下し、行動しています。それはあたかも、目をつぶったまま歩くような危なっかしさがあることに気づかないのです。
目を良く見開き、自分の思考や行動を観察してみてください。そうすると、不安はなくなっていきます。目を閉じていることを、本来の自分は知っているから不安なのです。