光と闇を象徴するタオのワークショップを行う時はいつも予想外な出来事が起こります。
去年の夏は、突然の兄の他界に接ぎ、タオのワークショップ中には、私自身がコロナに罹患してしまい、講座が中断するという思いがけない出来事が続きました。
「きっと来年、リベンジのタオワークをやりましょう…」
そう約束して別れてから1年が経ち、ようやくその時が訪れました。
さて、今年は何が起こるのやら、戦々恐々のリベンジワークの幕開けです。
タオとは宇宙自然の普遍的法則や根元的実在を指します。
タオの理(ことわり)を説く道教によれば、人間も宇宙の一部であり、自らの神性へと繋がる道がタオなのだと信じられて来ました。
本来、人間は宇宙神の化身として創られた存在なのだという神話がありますが、そんなお伽話を易々と信じるほど、純粋ではなくなってしまったからでしょうか…。私たちは、無意識が切り離してしまった闇と光の存在を統合する術を失ってしまいました。
やがて、自分が怖れるもの、憧れるものを遠ざけるようになると、自らを不自由なシェルター(妥協と安全なコンフォートゾーン)の中に閉じめて生きるようになったのです。
しかし、それでは、本当の自分自身を体験できるどころか、自分が何者なのかを知らぬまま人生を終えるしかないとしたら…、なんとも残念な話です。
なんとか、タオの真理に触れることが叶わないだろうか…と、私自身の苦悩も相まって、気がつけば、もう20年以上このテーマのワークを提供しているのでした。
コロナ禍を体験し、世界が光を見失ってしまったように感じる今。
統合への祈りを込めたリベンジのタオは、本当の自分の力を思い出す闇のシャドウと光のゴールデンシャドウとの統合がテーマになりました。
人間にとって、最大の光のシャドウとは「神」なのかもしれません。
神を崇拝し、畏(おそ)れることで、自分自身と神とを分離させてしまう人類の歴史はまだ数万年ぐらいでしょうか…。
この地球や宇宙が生まれ、変化してきたプロセスを思えば、人類が生きて来た年月などかすり傷ぐらいの出来事のように思えます。
私たちが自我という制限の幻想から解き放たれたなら、本当の自分自身(創造主)と統合することが叶うはずです。
祈りと太鼓、火と水、自然と一体となるために、太古の先祖は神を仰ぎ、踊ったといいます。
精神世界的なアプローチのひとつとして「本当の自分に目醒める」ことが大切だと言われますが、この本当の自分とは、内なる「神性」のことを指します。
人に見せたくないネガティブな自分を認め、受け容れることも大切ですが、そのネガティブな自分とは、本当の自分(神)の姿を覆い隠す影そのものだということを見破るとき、本当の自分の片鱗が見えてくるのでしょう。
光の源(光源)は、すべてを分け隔て無く照らす太陽に似ています。
これは神と同じバイブレーションであり、真の自己そのものなのです。
もしも、私たちが自分が光なのだと受け容れられたら…。
おそらく、在るがままの自分の姿を恥じたり、やりたい事をする力が自分に無いのだと思い込んだりすることなどなくなるでしょう。
しかし、その真髄を思い出すことがタブーとなってしまった歴史の中で、いつしか神は偶像と化し、それを崇め畏れるようになった人間は、深い眠りについてしまいました。
タオは、その真理を思い出し、ふたたび自然界と調和し生きることを始めるための教えであり、その理に気づくことが出来たとき、人間は自分の本当の姿に戻れるのです。
せっかく、神楽太鼓の奏者を迎えて変容の踊りを踊るならば、私たちが神だった時のことを思い出せるかもしれません。
私たちは、この貴重な機会を得て、御神体を模して創り、タオという大自然と一体となる体験をすることになりました。
神楽太鼓の音とは、まさに神を召喚する響のようです。
はじめて亥士さんの神楽太鼓を聞いた日の胸の鼓動を今でも忘れられません。
体中に電流が走るような感覚は、まるでクンダリーニの生命エネルギーが、太鼓によって目醒めさせられたような感覚…。
それはまるで、命が音と同じ「振動」なのだと、否が応でも認めざる負えない体験でした。
コロナの洗礼(禊ぎ)で最終回を見送ったお陰で、今年こそ統合のタオを完結させる気持ちがあったからこそ、再び石坂亥士さんの演奏を体験することができたのですから、きっとこれも神の計らいなのだと思えます。
「今度こそ全員揃って光と闇の統合を体験したい…」ただ、それだけの思いで集まってくれた人々の波動は心地良く、和気あいあいのムードが広がるアトリエは、光の衣を制作する縫製工房のようでした。
そして、新月の日の朝…。
色とりどりの神々の衣装が出来上がりました。
昨年のタオの太鼓が、シバ神の破壊のエネルギーを呼び覚ましたとしたら、今年のタオの太鼓は、光の世界からやってくる龍を召喚する音のようでした。神の遣いとして現れたタオの龍は、人々の闇や苦しみを抱き去って行ってくれました。
太鼓の音に誘われ踊る人の姿は、まるで太陽の光の中で踊り舞う神々の姿のように見えました。
それは、ただ在るがままの自分を思い出すだけで、統合が叶うのだと思えた時間でした。
「神様って、こんな姿をしているんだね…」
演奏を終えた亥士さんが、そう呟きました。
「龍に逢いに、滝に行こう」
太陽の中で踊った私たちは、身体のほてりを鎮めるため、滝へと向かいました。
夏の時期、滝を訪れると、たいてい数人の強者が、水に飛び込むのですが(笑)、今年は思いがけないことに、見事に参加者全員が滝に打たれ、元気に禊ぎを終えることが出来ました。
今年のタオは、そんなうれしい想定外のおみやげつき。
闇と光とうたい踊り「自神」とつながる体験をした数日間。
誰もが、この夏のことを忘れないでしょう。
私にとって、今年のタオは、神々と過ごした美しい日々でした。