変容する自己

表現アートセラピー画像1立春を少しばかり過ぎた日の朝、次男が大学の卒業式に出かけて行きました。
フロンティア精神あふれた芸術家肌の兄を追いかけるように同じ美術の道に進み、念願の芸大に合格したのは東日本大震災の直後でした。同じ春の日の埃っぽい風を感じながら、その時のことを思い出しました。

震災のショックもあり、ただ喜びだけではなく、いろんな感情に揺れ動かされた春の日。

それから4年。
同じ季節に息子の後姿を見送りながら、これで母親業も卒業なのかしら…?と自分に「お疲れ様!」と、言おうとしたとたん、頭にふと浮かんで来たのは、息子達への「ありがとう」の言葉だったのです。

表現アートセラピー画像2それは、この日まで無事に育ってくれたことや、誰よりも私を助けてくれたという思いから生まれた言葉だったような気がします。
普通とは少し違った生き方をした母親を、二人の息子達はよく受け入れてくれました。

はじめて、息子が「美術の道に進みたい」と、私に相談してきたのは、まだあどけなさが残る中学生の頃。その道で生きていた私は、その時、心良く薦めることは出来ませんでした。芸術の道は、本当に好きでなければ、生きて行くことが苦しくなってしまうから。
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それは、当時の私の信じていた観念でした。それでも、挑戦したいという息子に、しぶしぶ鉛筆の握り方から教えはじめ、描き方を教授したのは、ほんのわずかな時間でした。
やがて、彼らは私を嗤うほど腕を上げ、希望の大学に合格して行きました。
しかし彼らにとって、大学の卒業はただのゴールではありませんでした。芸大生という一つのアイデンティティを失い、ただの社会人になるわけです。
自分の身分を証明するものは、車の免許証ぐらい。その彼らは、卒業制作の過程で自分と向き合うことになったのです。

表現アートセラピー画像3特に次男はその制作の過程で大きな壁にぶつかることになりました。
兄と同じ大学を目指し素描に打ち込むことや、大学に入学した後の造形の技術を学び課題に取り組む日々は、楽しく充実したものだったのでしょう。
しかし、卒業制作に至ってはそうは問屋が卸てはくれませんでした。

デザイン科を専攻していた彼は、作品のコンセプトを自分で考えるという課題が託されます。
デザイナーにとって、当たり前であるコンセプトを創り出すことに対し、彼はワクワクするよりも、苦渋しているようでした。

デザインの作品とは、デザイナーにとっての「人格」の一部だと感じられる瞬間があります。
つまり、作品を創るということは、自分をどう捉えるか? 自分が誰なのかを理解する必要があるのです。

表現アートセラピー画像4自分が誰なのか?という哲学的な問いなど、あらためて悩む機会のなかった彼は、その壁の前でしばらく立ち止まってしまったのです。

「自分が何を表現したらいいのか、わからないんだ」
彼は自問して悩んでいました。

その悩みは、かつて私がデザインの道に進み、自分の絵が描けなくなった姿そのものでした。
その、モヤモヤ感が解るだけに、何も助けになることを言ってあげらない歯がゆさもありましたが、その葛藤を乗り越えることこそ、彼に託されたアジェンダ(課題)なのだと思えました。

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自分を見つけ、表現すること。それが新たな自分になる瞬間です。しかし、見つけられずにいる時、自分はどこに居るのでしょう? そんな迷っている自分自身を受け入れることから始めたらどうだろう?と、私は彼に伝えました。

そして、彼が導きだしたコンセプトは、「変容する自己」でした。
良くも悪くも自分とは、あらゆる経験から今の自分へと変化して来ている記憶(観念)の集大成でもあります。
その変化しつづける自分をデザインすることがコンセプトとなり、彼が特に興味を持っていたと空間デザインの手法を取り入れた作品作りが始まりました。

表現アートセラピー画像8テトラ(三角形)のフレームは、あらゆる人々のモジュール(断片)として、自分に影響をあたえるメタファーのように、増殖しながら作品が変化するように構成されました。
これまで出会った人、縁ある人にお願いし、テトラの紙に自由に自分自身を表現してもらうことからスタートし、やがて300編以上の作品が集まりました。その絵をフレームの中に組み込み、作品は徐々に大きな塊になって行きました。その中に光が灯ると、まるで立体的な地図のようにも見え、カラフルで捕らえどころのない有機体を彷彿させるインスタレーション作品へと変容して行ったのです。
心とは、もしかすると、こんな多面的な側面を併せ持つものなのかもしれないと、私は彼の作品を眺めながら思いました。

表現アートセラピー画像7本人にとって、時間がいくらあっても足りないほどだったのでしょう。
出来上がった作品は、未完成なイメージを漂わせているのですが、それがかえって彼自身の「今」を表現していました。
コンセプトを全うしている意味では、完成度は高いと言えるのかもしれません。
私自身、彼の卒業制作を通して、改めて表現することの大切さ、自分を創ることの面白さに触れることができたのは、意外な収穫でした。

デッサン力や造形のスキルが高かった彼にとって、いくらでも人を感心させる作品を創ることは出来たことを思うと、敢えてこの課題に取り組むことは、大きなチャレンジだといえるでしょう。
それまで培った技術を捨てて、ただ今の自分を表現することに徹したということは、変容する自分を受けいれる第一歩だったからです。

表現アートセラピー画像8明日から、ただの自分として、これから出会う人の中で新しい自分を模索しながら創造していく日々が始まります。

未熟ながらも社会人として、大人の扉を開けたばかりの息子の姿は、親の目からも成長を感じさせるものでしたが、もしかすると誰よりも成長したのは、この自分なのかもしれません。
そんな意味での感謝の言葉が生まれた日でした。

そして、この場を借りてここまで、私達親子を助け、導いてくださった多くの方々に、一人一人の顔を思い浮かべながら、心から感謝を贈ります。

本当にありがとうございました。
みなさんの愛の断片は、私達の心に刻まれています。

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