あなたの世界の終わり-vol.3 ~思いやりという福音~

東日本大震災の時と、このコロナウィルス騒動の違いは何だろう?と考えてみた。

9年前の春も、スーパーやコンビニから水や電池が消えた。しかし、数日もすると皆落ち着きを取り戻し、被災地への救援に向けて物資を送ったり、ボランティアに駆けつけたりする人が現れた。

今回は、どんなにニュースでマスクやトイレットペーパーの買い占めをやめるように促しても、依然行列は無くならない。

震災の時は、放射能への怖れもあったが、被災地やそれ以外の地域で暴動が起こったという話を聞いたことがなかったし、自分のことよりも、被災した人々への悲しみや心配で心を砕いた人が多かったように思う。

人間の脳の仕組みの話にもどると、人は思いやりを感じる時、オキシトシンというホルモンが分泌される。オキシトシンは、「愛情ホルモン」とも云われ、妊娠・出産時に大量に分泌されるホルモンである。

このオキシトシンの分泌が、ストレスの軽減に大きな効果を持つと言われている。

一方怖れを感じると人間はそのストレスと闘うか、または逃れるために、アドレナリンやコルチゾールを放出する。これが過剰になると自律神経のバランスを崩し、結果的には免疫を下げてしまうことになる。

スピリチュアルな世界で知られている、愛からの行動は幸せを引き寄せ、怖れからの行動は更なる怖れを引き寄せるという説がある。

災害時のボランティア活動や物資の分かち合いなど、思いやりから生まれた行動の後に味わう気分(人の役に立てたという充足感)と、コロナ騒動の最中、デマによる怖れからの爆買いや、保身から行動した後の気分(なんとなく世知辛い気分になるのでは…)とが、明らかに違うことに気づかされる。

人は、誰かのために心を砕くときに勇気が湧くが、自分を守るために利己的になると、怖れに捕らわれてしまうものなのだ。

しかし、忘れないでほしい。誰もが心に光(愛や勇気)を持ち合わせている。怖れている時こそ、勇気を奮うことが出来るチャンスだ。

SNSを使っている人は、自分に出来る事を社会にシェアしてみることも可能だ。地域で人と人とが助け合うためにできることを考えても良いだろう。

小さいことかもしれないけれど、トイレットペーパーが足りなくなって困って居る人に、一つだけでも分けてあげることは簡単だし、マスクを作る余裕がある人は、花粉症の友人の分まで作ってあげてもいい。

働く友人が子供を預ける場所を探していたら、持ち回りで預かってあげることも出来るかもしれない。

かなり昔の話(30年近く前だろうか…)だが、日本で起こった米騒動の時に、お米が買えなくなりパニックになったことがあった。

当時は、子供も小さくて、毎日のお弁当にご飯は欠かすことができなかったし、外食もままならなかった。

そんな折、仕事仲間の友人が次々と「自分はあまりお米はたべないから…」と云って分けてくれた経験があり、本当に有り難かったのを覚えている。

もちろん、助けてもらう嬉しさはあるが、自分が誰かの役に立つことも大きな喜びとなるのではないだろうか?

私がこんなことをおこがましく書くより前に、もう既に実践している人たちも多いことだろう。

マスコミには、ウィルスの脅威を伝えるのではなく、そういう話題を提供し、勇気を喚起する役目を担ってくれたら、と思う。

単純に考えてみれば、怖れから行動するより、愛から行動したほうが良さそうだとわかってはいるが、人間はどうも、怖れに対する耐性が具わっていないから厄介だ。

そうは云っても、このまま不安な状態で居つづけていると免疫が落ちる一方なので、まずは、ウィルスから身を守るために無益な闘いをするより、この怖れをなんとかすることにしようと思う。

怖れとストレスの対処法~免疫力アップ万能法

怖れを軽減する方法はいとも簡単だ。

  1. 先ずはじめに、自分の怖れている状況をはっきりさせる。

    ※これが一番重要なステップ!「何が起こるのが恐いのか? それが極まったら最悪、何が起こり得るのか?」ここまでシュミレーションしてみよう。

  2. その怖れている状況に対する抵抗を認め、解放する。

    具体的には、怖れる状況が実際に展開するイメージを見る。 (これこそ、怖れの境地だが、実際には何も起こっていないことを確認しながら行うこと)


  3.  イメージが終了するところまで行ったら完了の合図を出す。「終了」または「解除」という言葉を唱えて、イメージを一掃する。

    この時、実際に手を使って振り払ったり、息を吐いて解放したりすることが有効。


  4.  ホッとしたら、体験したい状況を具体的にイメージして感謝を唱える。

    悪夢から覚めてホッとする感じが良い。

表現アートセラピーでは、これらのステップを絵にしたり、身体を動かしたりして、負のエネルギーを変化させるので、頭の中だけで行うよりも効果がでる。

慣れない時や、始めは誰かに声かけしてもらいながらやると良い。

例えば、イメージや思考を使うだけでは物足りないという人にはこんなやり方もある。

怖れのバイブレーションと一体になるという身体の感覚を使った方法である。

この時は、感覚と呼吸に意識を集中する。

  1. 怖れの対象に抵抗しているイメージで、壁またはドアなどに触れてみる。対象を受け入れられない感覚をしばらく感じながら、だんだんと抵抗をやめて対象に溶け込むように、時間をかけてゆっくりと身をゆだねて行く。

  2. ふいに抵抗感が弱まり、対象との境界線が消え、溶け合ったとき、いわゆる「自分」が消滅するという体験が起こる。

    ※消滅しないと抵抗は解かれない。

対象と融合したときに、「それ」への違和感や抵抗感が無くなる。つまり、自分という世界が消える。

やや、哲学的なアプローチだが、瞑想状態を深めると、劇的に怖れから解放され平和な気分と一体になれる。

以上、簡単に要点だけ伝えたけれど、このイメージ法は、よく効くので試してほしい。

イメージすることで、実際に起こったらどうしよう?…、と怖れることはない。そのイメージは殆ど現実化しないし、一旦イメージの中で完了しているので再び体験しなくて良いのだと宇宙は考えてくれる。

むしろ、怖れを見て見ぬふりをしているほうが無意識下にあるイメージを現実化させてしまうことになるだろう。

イメージの中であれ、起こって欲しくない出来事や心配する未来を先に想像し、ちゃんとそれを「完了させる」ことが大切なのだ。また、起こったとしても、その対処について考察することができたら、慌てずに対応することができるので、怖れていることに直面することは無い。

つまり、怖れとは、起こってはいない「ただの妄想」によって生まれる感情にすぎない。

冷静に考えてみれば、身近で地震も津波も起こっていないし、知人友人が次々に罹患しているわけでもなさそうだ。

WHOのパンデミック宣言や、世界に日々刻々と増える感染者の数を見ていたら怖れるのは無理も無いが、(それでも、インフルエンザよりもマシなのだと気づくことができたら良いのだけど)皆がそんなに新型肺炎によって死ぬことを怖れているようには思えないのだけど、私の気のせいだろうか?

本当は、死よりも心配なのは、「今の生活が脅かされる」ことなのではないかしら?

それは、経済的な問題や、単に面倒が増えることなど、人それぞれだろう。皆、致死率を気にしながらも、本当のストレスの原因は、これまでの平和な日常生活に支障を来すことへの不安なのかもしれない。

コロナ騒動のせいで、明日の糧まで困窮しているような人は除いて、現在の怖れが、未だ起こっていない未来への想定なのだとしたら、その想定がどれほど自分にダメージを与えるのかについて明確にしてみると良いだろう。大抵は心配するほどのことではなく、単なる変化への抵抗のようなものだったりする。

怖れの種は、まだまだある。

コロナウィルスに感染しているかどうかの検査が制限されているらしいが、知らない間に自分が罹患し、人に移してしまっているという事態が起こらないか?という怖れを抱く人も多い。

これは、人に迷惑をかけてしまうことへの怖れ、人から後ろ指を指される怖れ…つまり、日本人特有の怖れなのだ。

実際に、具合が悪いのに外出し、不覚にも菌を振りまいてしまった人や、禁止されながらも渡航し感染してしまった人達を批判してしまった人は少なくないだろう。しかし、その批判の目は、結局自分にも注がれるわけなので、スッキリしないままである。

怖れが、実体の無いイメージから生まれたものだと気づくことができれば、御の字だ。

怖れの正体は、実際に起きていることではなく、起きるかもしれない変化=瞬間的な緊張に対する<違和感>なのである。

相手が、怖れるに足らない代物どころか、実体がないただのバイブレーションだったなんて…。

あれこれ気を揉むよりも、事が起こった後の対処について工夫するほうが建設的だ。

最後に…。

少しでも、この騒動が終息に向かうよう、一人一人が自覚を持って行動することを祈るばかりだ。

是非とも、自分を見失わずに、「怖れ」からではなく、「愛」から行動することを願う。そうすれば、世界全体が愛の交換の場となるだろう。

そして、間違いなく、あなたはその恩恵を受け取ることになる。

人間の根源的怖れとは、<分離>という幻想のストーリー(観念)を信じてしまったことにある。この幻想から解き放たれた時、あなたの世界が終わる。

幻想の世界が終わるということは、悲壮な終末論ではない。

自分と世界は一体であり、怖れることなど無かったことを知る。それが、アジャシャンティが唱えていた真実である。

それが、いまここにくつろぐ幸せのことなのだ。

<終わり>

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