大阪と東京の定期専修講座(ボディ&アート)を終えて、あらためて思ったのは、身体と心の結びつきの大切さ。当たり前になってしまった、身体と心の関係性について、こうして丁寧に観察していくと、興味は尽き
ません。
真冬のこの時期ならではなのか?
とても身体が繊細に反応しているのが良く解ります。そんな時だからこそ、気づけたことが沢山ありました。
普段、私たちが考える身体、それは、行動するための道具のような役割になってしまっているのです。もちろん、毎日健康管理をしたり、身体の調子に気遣う人は沢山いるでしょうけれど、そんな人達は幸いです。
私などは、こんな仕事をしていながら、身体の声を聴くのが苦手なのです。
ついつい、ネガティブな症状が出たり、年齢と共に体力が失われてしまった今、ようやく身体におしりを叩かれるように、ボディワークをしぶしぶ行うようになりました。
そして、自分自身がワークを提供する場で、自分の身体と対話しつつ、皆さんがワークを通して気づくことをきっかけに、その繋がりの神秘さと、素晴らしさを思い出せるのです。
身体が大切だというその理由は、身体が独自の心やアイデンティティを持っているというよりも、身体が、心と魂のアンバランスさを表面化するための、リトマス試験紙のような役割を担っているのではないか? と思うからなのです。
身体はただの魂の洋服でもなければ、自分を痛みや症状で攻撃するやっかいなお荷物でもあり
ません。
この身体の持つ役割を考えたとき、私たちは自ずと身体の反応や声を真摯に受け止める必要を思い知るのです。
たとえば、身体の様々な部位は、それぞれ意識と関わりが深く、心に起こっている反応を受け取り、表現するバロメーターのような役割があります。
手や足は、行動に係わるメッセージをもたらします。肩は荷物を背負い込む事柄に着いて説き、目は物事を見つめ、受け入れることについてのメッセージを含んでいます。あらゆる箇所にそれぞれのテーマや、意味が含まれています。
その詳しい情報を教えてくれる本が、リズ・ブルボー著「自分を愛して」というスピリチュアルな家庭の医学書。
本書では、詳しい症状と、心や魂のメッセージを具体的に教えてくれています。取り上げられる症状が、少し一般的ではないところが不思議なのですが、これも何か目的があるのでしょうか。
それにしても、自分で本書を薦めておきながら、自分で具合が悪いとき、この本を開いてみて、その症状についての説明を読むと、ため息がでてしまいます。(例*お腹が痛いとき、現実に起こっている状況を受け入れられないでいる、等)
解っていても、指摘されると鼻白んでしまうのは、素直でない性格の性なのですが、ふとした瞬間に、「ああ、そうか…」と思い当たる節にぶつかります。
すると、不思議と、本当に不思議とその痛みがすーっと引いていくのです。
結局は、エゴが作りだしている症状なのですが、エゴのいいなりになって、薬で症状を止めても、また同じ黙阿弥です。
私たちは、この身体と二人三脚で人生を送っていくのですから、その相棒のことをもっとよく考え、扱うことが大切なのだと、当たり前なのですが、いつもこのボディーワークの講座を終えるたび、心得るのです。