夏が駆け足で行く頃、思い出したように長い雨の後、ようやく秋の気配が鎌倉の海に訪れました。
今年の秋は、インテグラルアートセラピーや、セルフセラピーなど、長期の講座が次々にスタートしました。そしてもうすぐ(今週末!)今年の専修講座がはじまります。
10月から始まったインテグラル講座をはじめてみて、あらためて包括的な要素をもつ表現アートセラピーの多様性について実感しています。
アートメディテーションというテーマのインテグラルアートセラピーやセルフセラピーレッスンでは、心の課題を日常で役立てるためのエクササイズをこなしていきます。
心と体はまるで違う重力をもっているからでしょうか、重厚な扉を開けるような体感覚は、まるで深い瞑想の時間から、日常生活への架け橋を造るための準備をしている気分かもしれません。
インテグラルとは、「包括」あるいは「統合」という意味を持つ言葉です。
その言葉どおり、インテグラルなアプローチは、多様な視点や理解を用い、人間の意識がより自由に在るために用意されたベーシックで流用性のある理論だと思うのです。
トランスパーソナル心理学の論客として知られている、偉大な思想家であるケン・ウィルバーの提唱するこの理論について、ずいぶん長い間表現アートとの接点に気づかずに過ごしていましたが、今年いよいよ永年の構想が整い、インテグラルアートワークを提供する事となりました。
インテグラル理論そのものは、専門家にとってはなじみのあるものでも、日常あまり知られる世界ではありません。
しかし、この内容は実はとても実生活で役立つものだし、アートワークで行うプロセス指向心理学についても、実践で活用することで、心の成長に大きく役立つノウハウが込められているのです。
私はこれまで、アートセラピーが、もっと日常の生活で役立つものとなり、学問としてではなく、生きる知恵となって使われる日が来るといいなあと願っていました。
私にとって、アートセラピーは、決して敷居の高い心理学や哲学、芸術とは異なり、身近なライフスタイルや趣味として気楽に楽しめる物なのです。
理論は、概して言葉による理解を目的としていますが、実践を目的に提供されるこのインテグラルワークについては、知識や理屈が一見お荷物のような存在として捉えられがちですが、決して知性を軽んじたものではないのです。
実際は、実践した体験をいかに知的に理解するか?など、左脳と右脳をバランス良く使い分けるアプローチの断片を俯瞰で見るような体験といえるでしょう。
そして、何を統合するのか?というと、自分とその世界観。
自分にまつわる、様々な要素について包括的にとりくみます。
心や体、魂、そして無意識まで。
実践のワークでは、無意識の手触りを体験することや、意識の境界を探り、自分という統合するための断片を切り分ける作業。
瞑想するように絵を描き、お腹で気づくために、これまで構築してきた考えを解体する作業を繰り返して行きます。
とても興味深いことは、参加者が皆、なにやら理解しずらい理論なのに、なぜか頭ではなく、身体で体験している様子。
講座はスタートしたばかりで、未だ手探りのようなワークを体験しながら夢見心地の顔をして帰って行きました。
多分…、講座が進む内に、その感覚はボディ・ブローのように腑に落ちてくるのではないかと思います。
インテグラルは、そんなアプローチです。
当たり前なことを、簡単な方法で試す。
その方法に表現アートを使うことで、自然と身体と頭が融合していくのです。
私達はあまりにも、複雑になった日常で過ごすうちに、当たり前な行動や考えを採用する機会を逸してしまっているのかもしれません。
その複雑で混沌とした世界に光を当て、整理整頓することが、このインテグラルアートセラピーの大きな目的なのです。
もうすぐ始まる、定期専修講座でも、特別にインテグラルという命題はついていませんが、ここで扱う様々なアプローチは、インテグラル理論の要素に通じるものばかりです。
私達人間が影響を受けている媒体、機会は驚くほど多面性があります。
その影響を受けている自分自身が、多面体の鏡面そのものなのです。
私達に写し出される光や影がつくるシルエットやきらめきに、自分自身が驚いているのがこの現実世界なのかもしれません。
定期専修講座は、、ベーシックなアートワークを通して、そのような様々な世界を探求する機会となるようにプログラムされています。
また、本講座で出会う様々な人との交流が、私にとっての何よりのビッグイベント。
私の心が反映した、ユニークな存在を実感できる瞬間。
無心に絵を描き、表現する人間の美しさは、何よりの心の滋養となるでしょう。