参加者の声【定期専修講座 2021 in 東京】小さな扉を開けて

この半年間は、わたしにとってとても特別な時間でした。この半年で自分に起こった変化はグラデーションのようで、まだはっきりと「これがこんな風に変わった」と説明するのが難しいのだけど、それでも何が違っているのかを強いて言葉にしようとするなら、それは私が私であることを祝福することを「決意できた」ということなのかもしれないな、と今感じています。

「定期専修講座を受けるなら、これでも自分と向きあるのかやってごらんよ」と言われるかのように、受講の直前に、頭でも心でも処理しきれないショックな出来事が起こった。
失望し傷つき、呪い、嘆き、そんな自分を責め、恥じた。こんな黒いものにまみれたあなたが、支援者になんかなれるわけがないじゃないか。そんな風に自分が自分を攻撃的に辱める中、そこに溺れないように、一筋の光を頼るように、専修講座を受けはじめたのだった。

ネガティブな思考や感情が動きすぎて、ワークしたくないなと感じる時もあった。それでも周りのみんなが一生懸命だから、やりたくないなりに今のベストをやってみようと思えた。
ジャッヂせずに私の表現を目撃してくれる仲間、ただ正直に受け止めフィードバックしてくれる仲間の存在にとても救われたし、大きな安心感と、たくさんの気づきをもらいながら、辛かった思いと向き合うことが、「ずっと私に気づいて欲しかった私」に出会うための豊かな時間になっていった。

定期専修講座では、「描く」以外にも、体や言葉、音や声の表現など、今まで「苦手だからやらない」と決めてきた表現に挑戦することにもなった。
恥や失敗することの怖れを感じながら、何が怖いのかをよく見てみると、その怖れに実態がないことがわかってくる。だけど、実態がないと分かっても、体が「こわい」と反応する。

ただ、「できない、はずかしい、こわい」の怖れを十分に感じつつも、この講座で私にとって特別だったのは、「できなくでも、笑ったりバカにしたりする人は、ここには一人もいないじゃないか!」という絶対的な安心感を感じていたことだった。
ここでは、私を嘲ったり批判する人間がいるとしたら、それは「自分」ただ一人なんだ。

そんなことに気がついて、「できない」と思っていた表現に勇気を出して挑戦する、という体験が何度もできた。やってみたもののピンと来なかった表現もあったけれど、そこに飛び込んでみた勇気は、なにか自信の種のように今もちゃんと育っている。
自分の中にあるたくさんの小さな扉を開けながら、自分に対しても、他人に対してもオープンになっていく。半年間の講座の中で、私たちはきっと最初はみんなそれぞれ自分のワークをしていたはずなのだけど、いつの瞬間からだったのか、気がついたら私たちは私たちのために一緒にワークにしていたような気がする。
みんなが私を助けてくれたように、きっと私もみんなを助けていた。そのことに疑いを持たないことが、今もじんわりととても嬉しい。

心がうっかり暗闇に迷い込もうとする時、この専修講座で感じた繋がりと喜びを思い出す。あの特別な時間と気持ちを、素晴らしい人たちと共有できた私は、素晴らしい存在だ。もしもそれを否定する人がいるのだとしたら、それはきっと「自分」ただ一人なんだよ。

怖くても、私は、私と人とちゃんと関わって生きていく。

エリさん、みんなみんな、いっぱいの愛をありがとう。

image_print