目覚める惑星-夢の終わり(後編)

表現アートセラピー画像1前編の記事はこちら

久高から沖縄本島に戻ると、がらりと空気が変わるのがわかります。
たった5キロほどの距離が、まるで異次元から戻ったような気がするのは、私だけでしょうか…?
久高からついて来た雨雲に追いたてられるように南城の八角堂へと辿り着くと、私は丘の上から見えるブルーグレーの海を眺めながら、またぼんやりと一昨年の秋のことを考えはじめていました。
「なぜ、私は久高に導かれたのだろう? 」いつも沖縄を訪れるたびに起こる人生の大きな転機にどんな意味があるのか、答えのでない問いを何度も繰り返す自分。そんな自分に嫌気がさしながらも、過去に答えを求めてしまうのは、心の痛みや前に進むことへの怖れを紛らわそうとしているのだと、どこかで知っていたのだと思います。

表現アートセラピー画像21年ぶりの沖縄は冬のせいか、どんよりとした天気が続き、街は季節はずれの観光地のように息を潜めていました。10年前に訪れた時とは、打って変わった街の印象やエネルギーを感じるのは、気分のせいなのだろうか? それとも時の移ろいのためなのか? 誰も乗せずにカラカラと廻る観覧車が視界をかすめ、私は何か夢が終わったような寂しさを感じながら、車を走らせていました。
不思議だったのは、意図したわけではなかったのに、たまたま滞在した宿や訪れた場所はどこも過去に縁があった場所ばかりでした。もしかして私は、こんな形で時の移ろいを目の当たりにすることで、過ぎ去りし過去に別れを告げようとしているのでしょうか…。

沖縄に纏わる私自身のジンクスである人生の転機は今回も突然起こりました。
それはまるで大きな波に飲み込まれるように、作りかけの砂の城は粉々になって海の底に沈んで行きました。

表現アートセラピー画像3その余震はたぶん1年前に始まっていたのかもしれません。一昨年、沖縄で出会ったAkiさんのところで、その時は気楽な気持ちで引いたタ ロットカードには、今起きていることを預言するような内容が現れていたのです。

「彼女なら、今自分に起こっている出来事の意味を教えてくれるかもしれない。」そう思いたち、宜野湾に住む彼女の家を訪ねることにしたのです。晴れそうもない雨雲はまるで私の心模様のようでした。晴れていたら、八重山諸島に行こうと思っていたけれど、雨雲は本島に止まりリーディングに行くように仕向けたのでしょうか?

時折ふる雨を遮るワイパーがきしむような音をたてて鳴る車で通り慣れた国道を北へ向う道すがら、この雲が晴れたら何かが始まるような気がしはじめていたのです。

米軍ハウスを改造したAkiさんのヒーリングスペースは、海を見渡す小高い住宅街にありました。相変わらずのんびりした笑顔で迎えてくれたAkiさんは、いつもよりもリラックスしている様子で、逢ったとたんに私も肩の力が抜けて行くのが解りました。

表現アートセラピー画像3早速カードを引いてもらうと、開口一番「エリさん、すごく心の傷が深いようですよ。」と、ため息混じりに彼女は言いました。自分では平静を保っているつもりだったので、カードに見透かされている気がして、思わず私は苦笑いをしてしまいました。私のインナーチャイルドはそうとう哀しみを抱えているのだということは、うすうす気づいてはいても、認めたくない事実でした。

私はその哀しみに浸ってしまうと、日常生活を送っていくことが困難になることから、最小限のケアを手っ取り早く行って、片付けたつもりでした。しかし、雨ざらしになった傷の痛みは、不意に何の予告もなく現れて私を悩ませていました。最後は、それを無視することはできないほど膨れあがっていたのでしょう。

「もっとちゃんと癒してあげないとね」と、やさしく叱ってくれたAkiさんには、嘘はつけませんでした。
自分の心の傷に蓋をして、痛みに気づかずにいると、どんどん人は幻想の世界に埋もれていくのです。
現実を生きているつもりでも、何もかもが観念で彩られた偽物の世界の出来事に過ぎません。魂は、そんな自分を真実の世界に引き戻すために、津波のような出来事を起こして知らせてくれるのです。
思えば、私の人生の転機は、古い傷を見て見ぬふりをした時に起こったような気がしています。今回も、変化の波はやってきていたのに、それをしっかり見ることを避けていたのです。もう、すべて時が経ち、終わったことだと思いたかったのです。しかし、傷ついた小さい私は、それを認めてはいませんでした。

表現アートセラピー画像4「傷なんて幻想であってリアルじゃない」「傷を勲章にして生きたくない」そんな風にトラウマを否定し、痛みよりも、解放にフォーカスして生きたこの10年。過去のことはもう終わったつもりでいました。痛みに反応し、傷つき苦しむ人たちを仕事柄数え切れないほど見てきた私は、そんな人達を励ますために、せめて自分は立ち上がり、痛みを克服したスライバー(繁栄者)として生きたかったのでしょう。過去を振り返ることは、そんな自分にとって御法度でした。しかし、その抵抗が強まれば強まるほど、何かに蓋をしなければいけなくなったことに気づかずにいたのかもしれません。

過去の傷を否定する私が、一番傷に捕らわれていたのです。

私はすべての過去を清算する必要がありました。赦していない父への思い、母への思い、兄への思い。いつまでも、亡くしたオモチャにしがみつく子供のように、チャイルドは古い傷に固執していました。しかし、その傷は昔出来たわけでも、父や母がつけたわけでも、まして現在の人間関係で出来たわけでもなく、ただ自分が自分につけたものに違いありません。そんな自分に、自分が飽き飽きしていることも、自分は知っていました。だからこそ、そんな自分を赦せずにいたのです。

表現アートセラピー画像5オラクルカードは、私にとって直感が鈍った時の助け船でした。源からの声がいくら聞こえていても、それを否定する自分が現れ出すと、深刻なバランスの不調に陥っている証拠です。そんな時は、考えても無駄だとあきらめ、助けを求めることにしているのです。
今回も、カードは期待を裏切ることなく、正確に私の状況や心境を読み取ってくれました。

今の状態、癒やす必要があるもの、今後の方向性、ブロックになっているもの等、今自分に必要な情報が正確にやってきました。Akiさんの総体的なリーディングによると、去年と今年は私にとって、統合と再生のための時間になる重要な2年になるということや、10年以上前に浮上した課題や思いを結実する機会だと伝えられました。「締めくくりとなるテーマって何だろう?」とこの10年を振り返りましたが、すぐに腑に落ちるものは見つかりませんでした。

モヤモヤする気持ちでいる私にAkiさんは「エリさん、絵は描かないんですか?」と何気ない口調で訊ねたのです。不意を突いた質問に私は内心ドキリとしました。 絵を描く事は私にとって鬼門であり、過去の錆び付いた夢でした。その夢を追って、過去の波に巻かれてもがき、とうとうこの10年のうちに絵を描く事を断念していたのです。 それよりも楽しい事が沢山あったし、表現することには十分満足していました。
絵を描きたかった私はもう自分の中には棲んでいないのです。なぜなら、辛辣な批評家の自分が彼女を追い出してしまったから。 その批評家は、自分の絵が嫌いでした。私は私に嫌われ、後ずさりして静かに居なくなりました。

表現アートセラピー画像6絵を描く主を失ったアトリエの画材を片付け絵筆をしまい、表現アートで出会う表現者たちにその空間を解放することを決めました。Akiさんは今年の私の変容について語ってくれました。6月に南米に行くことにしたことを伝えると、その時に大きな変化が訪れることなどを示してくれました。「もしかすると、絵を描き始めるかもしれませんね」そう言う彼女の言葉が重く私の心に影を落としました。もう描くことから逃げ切れたと思ったのに。そんな私にたたみかけるように「その時に、すべてが完成するのかもしれませんよ」と告げました。

絵は今の私にとって、顔さえ思い出せない過去の恋人のようでした。もう、未練もないし、再び描きたいという期待もありません。絵を描こうともがいて、完全に自分を見失ったあの頃の自分にもう戻りたくない。そんな想いが頭を巡りました。最後にどうしてこれまで久高や沖縄に縁があり、此処までやってきた意味があるのかを彼女に尋ねました。
「さあ、なんででしょうねえ…」Akiさんは笑いながら答えてはくれません。
今は傷を癒やし、過去を手放し前に進むこと。それが彼女からをアドバイスでした。

表現アートセラピー画像7いくらか心を覆っていた雲が晴れて、未来への希望が見え隠れし始めていましたが、まだ気持ちは重いままでした。
なんとか、この塊がなくならないものかと思い巡らし、珍しくヒーリングしてもらおうと思い立ったのです。
私はこれまでヒーリングに対して積極的ではありませんでした。人から痛みを癒やしてもらうことへの抵抗感は、誰かに依存することへの怖れなのかもしれません。何でも自力で片付けることに固執していました。でも、今は人の助けが必要だと感じていたのです。人生の中で、そんな時期が何度か訪れます。そして、それが今なのだと感じ、心に詰まったブロックを取り除いてもらう手伝いをしてもらうセラピストを紹介してもらうことにしたのです。

「どんなことを扱いたいですか?」
優しそうな物腰で問いかけるセラピストに、その後の待ち合わせの時間のことが気になっていたこともあり、問題のいきさつを詳しく説明する気持ちにはなれませんでした。それは、あまりに長尺なプロセスだったため、少しばかりの説明では中途半端になってしまうだろうと思ったからです。頼みたいのは今ここに詰まっている塊を取り除きたいこと。過去を手放せずにいる苦しさや、一方で執着している自分とが葛藤していることを、そそくさと伝えました。

彼は私の落ち着かない様子を理解してくれるように頷くと、潜在意識に働きかけて、葛藤を取り除く手法など、セラピーのプロセスについて話し始めました。
「潜在意識というものがあるのを知っていますか?」という問いに、「私もセラピストなので、だいたい理解できていると思います」と伝えると、「それでは何がブロックしているのかを見て行きましょう」と言うと、さっそくセッションが始まりました。

表現アートセラピー画像8彼は私の意識を深いトランスに導きながら、自らもトランスしながら私の中に沈殿するブロックのイメージを探っている様子です。すると、彼はこんなストーリーを話し始めました。「自分の想いや表現を理解されない吟遊詩人の哀しみのイメージが見えます、それが現在のブロックとなっているようなので、これを解放するヴィジョンを探してみましょう」
ブロックの解放のために出て来たイメージは、街頭の絵描きが宮廷に招かれて、やがて画家として認められていくヴィジョンでした。
私が、絵を描くという表現のブロックを持って居ることを、今日初めて会ったばかりのこの人は知らないはずです。彼はスピリチュアルな直感で、私の潜在意識にアクセスして見えた光景なのかもしれません。するとにわかにそのストーリーが今の私にとって意味のあるものに思えて来たのです。

さらにセッションは続き、最後に解放の鍵のイメージまで辿り着きました。それは、風にふかれ消えそうな赤い蝋燭の灯でした。私の中のブロックは、手放すことへの罪悪感でした。私は自分を罰するために、苦しい状況を引き寄せ、自分を愛せない人を身近に置き、自分も相手も苦しむように現実を創造していたのでした。私が手放せなかったのは、自分を許さないためだったのです。涌き上がったイメージを伝えると、彼は「それでは、それを解放しましょう」というと、しばらく私の手を取り筋反応を調べなら現れた解放のヴィジョンを話し始めました。

表現アートセラピー画像12「蝋燭の灯を守るように、周りに白い蝋燭が集まり、やがてその灯が一つになって上に向かって昇って行きます。その炎は雲の上まで登り辺りを照らす光となって、雲間から地上を照らしているのが見えます」その言葉を聞きながら、それはまるで久高で見た満月と夜明けの朝陽の光景を思い出していました。

すると、あの時浜辺で一身に自分の中心に繋がり言葉が降りてくるのを待っていたとき、いつもとは違う存在の声が聞こえてきたのです。「もう、手放していい。それはただ流れているのだから。すべては変化して行くのだから」私は、その言葉を聞き、ようやく自分は赦されたのだと気づきました。相手を、そして自分を責めることで、止まろうとしていたこと。責めることで忘れようとしていたけれど、実は責めることで執着していたことに気づきました。久高の満月と朝陽の光は、解放の合図だったのです。
私は、この十年を赦し手放すためにあの島に呼ばれたのだと、この時にようやく気づきました。悲しくはないのに知らずに涙が流れると自然に意識が戻り、静かにセッションが終わりました。長い幻のストーリーが終わりを告げ、文字通り私は覚醒したのです。

何故自分が久高に導かれたのか、この時ようやくその意味がわかりました。
私は、あの夜明けのイシキ浜で見た朝陽は、自分の命の潮流は自分だけのものではなく、あらゆるものと繋がり、今があるのだととても自然に思えたことを思い出しました。そして、その時にふと聞こえた声は、「ここにすべて置いて行きなさい。ぜんぶ手放していいよ」と、やさしく諭してくれたのです。あれは、私をゆるす自分の声なのでしょうか? それとも、優しい久高の神々の声だったのでしょうか…?

表現アートセラピー画像9

「もう、自分を赦そう。そして、すべてを赦そう」そう思えた私は、あらゆる思いを手放すことを決心しました。
すべては、愛している故の葛藤でした。それなら、なぜ人間は愛を求め、苦しむのだろう?とその時にまた内なる源から声がしました。源が教えてくれたことは、既に知っていたことなのかもしれませんが、この時こそ深くその意味を理解できた日はありませんでした。源の言葉は、私の迷いや疑問の雲を晴らすように私の心の闇に光を灯しました。

「愛を求めるということは、愛を理解していない。それは幼さからかもしれないし、怖れからからかもしれない。
愛とは、求めるものでも、奪うものでも、与えるものでもない。ただ在るものだ。愛を求めるなら、自分が愛であることに気づいていない。だから、愛を渇望し、愛する人を求め、愛されることを求める。いかにその気持ちが強いかを、愛するバロメーターとしている。しかし、それは愛ではなく単なる渇望なのだ。あなたが苦しいのは、相手を愛しているからではなく、愛を求めて渇望しているからだ。それを愛と取り違えているだけだよ。

苦しさから逃れるために、相手を忘れようとしたり、離れようとしても何も変わらない。あなたは、また違う人にむけて愛をむさぼることだろう。あなたは心配することや、忘れられないことを愛の証としているが、それは愛ではなく相手や自分に対する信頼の欠如であり、源ではないものへの執着でしかない。
あなたがこれまで、自分を愛している人や、愛してくれる人との間で葛藤したのは、そんな理由からだ。あなたは、家族や愛している人たちとの間で(その関係の深さ故に)生まれた葛藤や感情を愛の深さやトラウマなのだと勘違いしてしまったのだ。その傷から癒やされるためには、それが幻だったと気づくことから始まる。

表現アートセラピー画像10もしも、あなたが幸せを求めるなら、他者のことは気にしないことだ。あなた自身がまず幸せになるためには、誰かは必要ではない。しかし、それは一人で生きるということでもない。もし、あなたが誰かと生きたいのなら、共に生きればいい。ただし、まず初めに自分自身の源と調和していないといけない。自分を幸せにすることができる存在は、自分の中にしかいないことに、本当に気づくことことだよ…」

どうやったら、それに気づけますか? という私に問いに、その声は答えました。

「自分で在りなさい。在るがままの自分を世界に表現することだ」
「自分で在りなさい。ただ自分の為に」

沖縄から帰ったら、忙しい日常が始まるはずだたったのですが、あまりに浄化の力が強かったのでしょうか?帰りつくなり熱が出て、それからまる5日間ベッドから起き上がることが出来ませんでした。
本当は旅の間感じたことを心を奥にしまって、日常の忙しさに身を置こうとしていた目論見は外れ、熱にうなされながら自分の感情と向き合うしかありませんでした。浄化までの道のりは楽な体験ではありませんでしたが、ようやく熱が下がると、嵐が去ったあとの清々しい朝のように身体も心もとても静かでした。

そんな心と身体のデトックスのおかげでしょうか、その後の私はDNAさえも変わってしまったような気がしています。ふいに蘇るように訪れる寂しさや痛みは、だんだんと懐かしい埃っぽい夕方の空の匂いと共に移ろい、少しづつ溶けていくのを感じています。

表現アートセラピー画像11久高に神々に誘われ、迷い込んだ迷路。それは、積年の荷物を下ろすような不思議な旅でした。
ようやく、自分の腑に落ちる答えを探し出し、目が醒めたような気分でした。
肩の力がぬけたとき、ふと去年の春に作った自分のドリームマップに目をやると、マンゴの木に手をかざした写真の横に貼った「Wake up! 」という言葉が飛び込んできました。 この旅の果てに見つけたのは、文字通り目を醒ます体験だったのです。

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