無防備な器

表現アートのワークショップ体験を通して、さらに自己探求を深めたい人や、学んだスキルを提供していきたいという人に向け、数年前からインターンシップ制度を設けている。
表現アートセラピーのワークショップにおいて、ファシリテーターの存在は(何をやっているのか)解りにくい立場にあるかもしれない。

ファシリテーターとは、促進者という意味をもっており、グループ活動の流れを取り計らう立場に在る。
グループのリーダーとして教えたり、導くよりも、流れを読むことがメインの仕事なので、表面上は単なるオブザーバーのようにも見えなくはない。
ある時、ファシリテーター養成講座の受講生に「ワークショップ中、エリさんは何もしていないように見えて、なんだか楽そうだなと思って、ファシリテーターをやってみたいと思った!」と言われ、なかなか的を得てる!と思ったことがある(笑)。

欧米ではお馴染みのファシリテーションだが、未だ日本での理解は進んでいない。ファシリテーションを学ぶインターンシップにおいて、実際のトレーニングで何をしたらいいのか戸惑う人は多いのも頷ける。

まず、インターンを始めたばかりの頃は、誰もが何をしたらいいのかわからずソワソワし始める。
実のところワークショップがはじまるとめぼしい仕事はなく、参加者を見守りながらワークに参加するだけなのだが、それでは働いているように思えず、手持ち無沙汰になるのだろう。
しかし実際は、参加者と共にファシリテーターが自分のワークをすることは、重要な意味がある。

日頃アートに馴染みがない人や、絵を描くことに抵抗を感じている参加者にとって、絵を描くことはハードルの一つとなる。
子供の頃、どうやって落書きをしていたのか忘れてしまった彼らにとって、見守られるよりも、肩を並べて描くサポーターがいる方が安心するのだろう。

先日のワークショップの中で久しぶりに私も自分の問題を扱って絵を描いていたことがあった。
後日、その様子を見ていた参加者が、「あんな風にじっくり感じながら描くのですね。自分も真似してみたら気づくことがあって、なんか解った気がしました…。」という感想をいただいた。
正しい描き方というよりも、雰囲気が伝わることが何かの助けになるのだろう。

そんな意味で、ファシリテーターとは、水面に石を投げ入れたり、かき混ぜて流れや波を創り出す役割を持っている。
ファシリテーター自身が、うわべではなく本気で感じたまま表現をしたり、実感をシェアすることは参加者へのモチベーションに繋がるはずだ。

しかし、それは云うほど簡単ではなく、インターン生にとっては、大きなチャレンジになることが多い。皆トレーニングの最中その壁にぶつかり、自分を見失い戸惑う。しかし、それが大きなステップになることが多いのだ。

インターン生には、ワークショップの体験を基にして毎回フィードバックレポートを書いてもらっている。感じたことを言葉に変換して伝えることも研修の大切な一環である。
そのレポートの中で、大半の人が、単なる参加者としてワークを体験する時以上に気づきを得たとフィードバックをくれることはとても興味深い。

なんだか前置きがとても長くなってしまったが、今日は長くインターントレーニングを続けてくれている生徒(Aさん)のフィードバックレポートを紹介したい。

レポートの中に綴られている在りのままの彼女の気づきと成長は、そのまま私の取り組みの歴史と重なるような気がする。特に感動したのは、彼女が自分の体験の歴史を家族にシェアしている件(くだり)だった。

表現アートのプロセスはとても個人的な体験なので、参加したことがない家族にとっては、共感することが難しいものなのだが、こんな形で家族と自分の深いプロセスを共有できることが素敵だと思った。
今回は、特別に本人の許可をもらい一部を掲載することにした。

インナーチャイルドワークの完了 インターン生/40代

今回ボディの絵を1枚描き、それは、私にとってずっと抱えていたインナーチャイルドの癒しの完了のワークになった。

振り返ると、2017年2月、私にとって3回目のインターン参加のワークでそのチャイルドに向き合い始めた。

私のチャイルドの叫びを引きずり出してくれたのは、「私なんて死ねばいいんだ。」「生きているのは辛すぎる、死にたい。」と繰り返し叫び続けた娘だ。

私の中の怒りと暴力は、9年前アートセラピーを学び始めた私にとって、1番感じにくいものであり、実感がなかった。
怒りも暴力も、父と母の苦しみを思い出すので出来れば避けたいものだった。
しかし、5年前から、体全部を使って、心と体の痛み、そして、怒りを、暴力という形で私にぶつけてくる娘を通して、自分の中にある怒り、暴力、そして心と体の痛みを知ることになった。
そのプロセスがなかったら、私のチャイルドは叫べなかったと思う。
「私は何も悪いことをしていないのに、どうしてこんなに苦しまなきゃいけないの!!」そう叫ぶ私のチャイルドの言葉に自分自身が驚いた。

その叫びを聞いてから、自分の中にいる干からびて丸まったインナーチャイルドに、話しかけたり、ワークをしたりしてアプローチを続けて来たが、どうしても、本当の癒しを得ることはできず、胸の中のつかえのような苦しみが解けることはなかった。

今回の専修講座に参加し始めた11月頃、このチャイルドを自分の胸の中にずっと大事にしまっていることも、過去へ執着の一つではないか、と思い立ち、バスルームで声を出しながら外へ出そうと試みた。

とにかくシャボン玉のように空中で弾けて消えて行くように、何度も何度も、声とともにつかえを吐き出してみた。
その後、チャイルドのいたところに気持ちの良い感覚を入れようと感じてみると、まぁるい真っ白い部屋が思い浮かんだ。
その白い部屋は傷を治癒するクリームの部屋で、ニベアの部屋と呼ぶことにした。

声を出した胸から喉までがヒリヒリと痛んだので、自分の体の痛みに、ニベヤの部屋のクリームを優しく塗り込んでいくイメージを繰り返してみた。

私の胸の中には、いつでもそこに行けば包まれ癒されるスペースができたが、それまでそこにいたチャイルドはいったいどこに行ってしまったのだろうと、どこかで気になっていた。

そういうプロセスを経て、今回の専修講座で、インターンとして等身大のボディを描くワークに参加することになった。
ボディを描いているうちに、実際にクリームを身体中に塗ってあげたい、と思い立ち、「ごめんね、ありがとう」と指で白い絵の具を塗っていった。

それまで気づかなかったが、絵を壁に貼り、その前にペアになった人が立ってくれた瞬間、あぁ、これはあの日のバスルームで、体の外に出したチャイルドだったんだ。と気づいた。

「この等身大のボディは、ミイラのように茶色く干からびてしまった私のチャイルドの姿だったんだ。その身体全部に治癒のクリームを塗ってあげた。全身に塗りとどけるには、お部屋いっぱいのクリームが必要だったんだ。
そして、治癒行為が終わったら、彼女は生き返って目の前に現れてくれた。ちゃんと生きててくれたんだ、今日まで生きていてくれてありがとう。」

心から安心できて、私の胸のつかえは取り除かれたように思い、癒しの完了を感じている。10代の頃から常に自分の中に「助けて」という声があったが、今は感じない。

ボディの絵からは、何度、ボロボロになっても治癒し、真っさらなボディに生まれ変わって生きていく再生の力を感じ、強く美しい自分を発見した。
それは、人も自分も傷つけてしまう自分の強さが嫌いだった私にとって、「自分の強さ」に美しさを感じる貴重な経験になったと思う。
「強さという美しさ」というこれから向かうヴィジョンを見出したように感じている。

再生した自分で自由に楽しんで生きていってもいいんだ、という書き換えの作業も始まっているかもしれない。

また、家族にこの9年間に描いた何枚かのボディのアートを見せて、感想を貰った。

夫からは「自分をちゃんと持てるようになった。人になった。人としての形が分かりやすくなっている。シンプルになっている。自分がなくなっている。自分を出していない(自分てなんだろう、と悩んでいないという良い意味で)。自分の中ではなく、外に意識を持てるようになっている。拡散していたのが中心に集まってきた。」

娘からは「前はカラフルで自分を飾っていた、今のはありのままの自分」との感想を貰った。

2010年8月のテクニカル専修講座にて。はじめて参加したときは、自分の中に怒りや暴力性などないと思っていた。
3回目のインターン参加のワークではじめて自分のチャイルドと出逢った。(2017年2月)
今回の専修講座で、インターンとして等身大のボディを描くワークに参加することになった。(2019年1月)
ボディを描いているうちに、実際にクリームを身体中に塗ってあげたい、と思い立ち、「ごめんね、ありがとう」と指で白い絵の具を塗っていった。(2019年1月)
2014年に描いた等身大のボディの絵。

レポートを読み、あらためてサポートとして存在するファシリテーターの在るべき姿は、自らが無防備になり、在るがままの自己や他者を受け入れる器になることではないかと気づかされた。

自分を探求する時や、他者と向き合い繋がりを創る時に壁は無用だ。

在るがままの正直な自分を見る勇気と、体験を人と共有ことがサポートの重要な役目なのだといえる。

無防備な器とは、
なんと勇気のある在り方なのだろう…。

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