インナーチャイルドについて耳にしたことがある人は増えたが、その実体について知っている人は少ないのかもしれない。
私がインナーチャイルドという言葉を知ったのは、恐らく30年近く前の海外の文献だった。
その当時は心理学の分野ではなく、精神世界から派生したファンタジーとして捉えられていた記憶がある。
誘導瞑想などを通して、子供時代の自分の姿や小さい子供をイメージの中で探す。
彼らに出会ったなら、忘れていたことを謝り悲しみを癒やす~というのが当時のスタンダードなインナーチャイルドワークだった。
当時の私には、その方法が全く腑に落ちず、何の変化も感じられなかった。次第に「内なる子供」なんて宇宙人と同様、おとぎ話のキャラクターに似た想像の産物なのだと思うようになっていた。
それから数年後、インナーチャイルドのことなどすっかり忘れてしまった頃、ある出来事がきっかけで、本物のインナーチャイルドと遭遇してしまった体験について話そうと思う。
その不可思議な体験の真偽は別として、それからというもの、自分の意識や人生そのものが大きく変わったことは間違いない。
出会いに至る詳しい経緯は、ここでは割愛するが、インナーチャイルド…だろうと思われる存在は、亡霊のような半透明をした姿で、ある日、私の目の前にこつ然と現れた。
多分、宇宙人と遭遇した人も、同じように仰天するのだろう。
「インナーチャイルドは実在するんだ…!」
私はそのとき思った。
少なくとも、私の知っている世界では…
今でもそのときの感覚は、薄れることなくはっきりと記憶に残っている。例えば、鮮明に見た明せき夢や、昔の思い出との区別がつかないぐらいに。
信じてもらえないかもしれないし、妄想癖のある人間の戯言だろうと思われ兼ねないので、長い間特定の人以外に話すことはなかった。
そのときを境に私は自分の脳(又は意識)を介して、チャイルドと話せるようになったのだ。
時には、意識全体を彼女に乗っ取られる感覚などを体験し、彼女が自分(主人格)とは違う存在なのだと理解するようになった。
こんなふうに書くと、まるで私が頭がおかしくなったか、はたまたチャネリングでもできるような特殊な能力(超能力?)を持っていると思われるかもしれないが、私は金縛りを体験したこともなければ、トランプの神経衰弱ゲームさえ苦手な、霊感とは無縁の人間である。
大体、超能力や霊能力などは持っているだけで、厄介で苦労する人ばかり見てきたので、そんな不思議な能力は興味本位で見るに限ると思っている。
なので、その体験は就寝中の夢の延長のような、白日夢だったと片付けてしまいたい節もある。
さて、その体験が妄想なのか事実なのかは、余り重要な問題ではなく、私にとって衝撃だったのは、インナーチャイルドの正体がイメージとは懸け離れていたことだった。
目の前に現れたその子は、小学校三年生ぐらいの少女だった。髪型はおかっぱだったが(私は小学生時代はショートカットだった)、自分の子供時代の記憶ではないだろうと思えた。
後に昔の写真の中に、1歳ぐらいの頃の祖父に抱かれているおかっぱ頭の自分がいたことを思い出したのだが、私が出会ったその子は、学童ぐらいの年格好だった。
見つけた瞬間に、なぜか「そうか、こいつが犯人だ!」と、とっさに思ったのだった。
それは、過去に自分の人格の多重性に悩んだ経験があったことから、その原因を作ったのは、彼女なのではないか?と結びつけたのだ。
人格の多重性は、現代は解離性人格障害という専門用語があるが、昔は多重人格という名で呼ばれ映画やドラマで知られていた。(24人のビリー・ミリガン~は有名)
さすがにその当時の自分が、そこまでの心神喪失には至ってなかったものの、気分が目まぐるしく変化することから、自分のことがよく分からなくなり、悩むことが少なくない日々を送っていたのだった。
そんな自分を恥じいり責めてきた経緯があったので、苦し紛れに自分以外の誰かに罪をなすりつけたかったのかもしれない。
その当て馬になったのがインナーチャイルドだった。
とっさに私は叫んだ。
「いったい、何人いるの?!」
うなだれて下を向きながら、
「…8人」と、小さな声でチャイルドは答えた。
ジキルとハイドという小説に出てくる二重人格という仮面のイメージなら、何となく納得できるが、8人とは途方にくれてしまう。
私の剣幕に怯えるチャイルドをなだめ理由を聞くと、傷つかないために守っていたというではないか…。
子供だと思い込んでいた<インナーチャイルド>は立派な大人の頭脳の持ち主だったのだ。
ため息をつきながら、もう怒らないことを条件に、これまでの経緯を聴き出すことにした。
(つづく)